フィリップ・ワドラー教授は、マニュエル・チャクラヴァティとともにブロックチェーンのスマートプログラミング言語であるPlutusの共同作成者として多くのCardanoユーザーに知られています。コンピューター言語と関数型プログラミングに関する彼の業績は、教授職、数々の賞、エディンバラ王立協会のフェローシップとして結実しました。Java、Haskell、XQueryばかりでなく、関数型言語を使ったことがある人は誰でも、ワドラーの仕事から恩恵を受けています。
今月、ワドラーは世界最古の科学アカデミーである王立協会のフェローに就任し、ニュートンを含む科学の巨匠の仲間入りを果たします。FRSと称されるのです。
この受賞は、マイクロプロセッサーの時代とデジタル技術の隆盛期にまたがるキャリアの証です。学術研究の貢献度はh-Indexシステムで測定されます。20年間の研究の後、スコア20は良好、40は優秀、60は非常に優秀です。ワドラーのスコアは73で、これは、彼の研究が出版された論文や本で26,981回引用されたことに基づいています。
彼の伝記には、「理論を実践に、実践を理論に導入するのが好き」と書かれており、これは確かに実践されています。オックスフォード大学で研究助手を務めた後、グラスゴーで最初の教授職を得、Haskellの主要な設計者の一人となりました。その後、ベル研究所とアバイア研究所に務め、2003年よりエディンバラ大学情報学部の理論計算機科学の教授を務めています。
「私は理論と実践の両方が共に重要であると強く信じています」とワドラーは言います。「両方を同時に考えることの重要性は、ブレーズ・パスカル(確率論の基礎を築いたフランスの数学者で哲学者)から、エディンバラでHaskellの前身であるML言語の設計に携わったロビン・ミルナーまで、科学史を通じて見出されるテーマです」
彼はアカデミアの大きな利点を「教えることができること」と考えています。若い人たちと一緒に仕事をすることで若い気持ちを持ち続けやすくなり、教えることでコミュニケーション能力を磨くことができます。
「私は多くの業界の会議に招待されることを嬉しく思っています。そこで話す若い開発者は賢くて優秀です。しかし、効果的にコミュニケーションをとる方法が身についているのは一部だけです」
ワドラーは若かりし頃、アメリカ数学会に論文を投稿したときに、明確に書くことの重要性を学びました。1975年、カリフォルニア大学バークレー校の高校生向けコースに通った後のことでした。「私は可能な限り一般的な方法で説明しようとしましたが、メンターからこれでは理解できないと言われたのです。もっと具体的に、わかりやすく書き直させられました」
「読者が理解しやすいように書くことがいかに重要かを諭されたことは、重要な教訓として心に刻まれています」
ワドラーの世界を理解することは、ラムダ計算、非難追跡、漸進的型付け、型クラス、モナドの語彙を得ることです。ここでは怠惰よりも無頓着な方がマシであり、怠惰になるならエレガントにすべきです。ほとんどの人は見ることもない用語ですが、彼は、考えを理解してもらいやすいようにしろという助言に従っています。彼の学術論文に多発するユーモアと魅力的な講義のプレゼンテーションスタイルは、これを証明しています。「Formletの慣用句ガイド」、「残ったカレーと再加熱したピザ」、「Et Tu, XML?」などのタイトルは忘れられません。また、講演でラムダマンの衣装を着た姿は目に焼き付いています。
シリコンバレーの中心で
ワドラーは、後にシリコンバレーとなったカリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリアのクパチーノ高校に通いました。数学者になるつもりでしたが、「コーディングで仕事を得る方が簡単で、儲かりました」。彼は、初期に出会った3人の教師から特に影響を受けたと言います。「特に学校で数学を教えていたシモンズ先生とグロート先生、そして私が履修したサンタクララ大学のコースで微積分を教えていたジェラルド・アレクサンダーソン先生」
ワドラーは、1977年にスタンフォード大学で数学の学位を取得しました。その前年、スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズは、MOS Technologyの8ビット6502チップと4KBのユーザーメモリーを搭載したApple Iキットの販売を開始しました。ドナルド・クヌースはプログラミングに関する大著を第3巻まで刊行していました(最新巻は昨年発表)。この時期はFortran、COBOL、LISP、Algolの時代であり、Forth、 Pascal、Cは比較的新参でした。Xerox ParcはSmalltalkの開発途上にありました。MicrocomputersはまだBASICの普及に至っていませんでした。エンジニアは未だ計算尺を持ち歩いていました。ダグラス・ホフスタッターの古典的著作『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(通称GEB)の2年前、AcornのBBC MicroとIBMのPCの4年前です。ティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webを提案するまでまだ10年以上ありました。
これらのランドマーク的出来事のほとんどは、ワドラーの個人史の中で言及されています。彼の次の論文は、スタンフォード大学で2年生のときに、クヌースによる授業の課題として書かれました。それは形成期でした。「クヌースの授業は彼の教科書をもとにしたデータ構造に関するもので、素晴らしい学習体験となりました。とりわけ、数学の文章の書き方について数ページのメモをくれました。そのメモが、私の学者としてのキャリアの始まりとなりました。今でも参照しています」
論文「Analysis of an algorithm for real-time garbage collection」により、ワドラーは米国を拠点とする科学会Association for Computing Machinery(ACM)によるThe Forsythe student paper awardの第1位を受賞しました。
スタンフォード大学で最も影響を受けた授業は経済学入門でした。「先生の名前は覚えていませんが、ウェブ検索によるとジョン・ガーリー先生だったようです。彼は2人のマルクス、すなわちカール・マルクスとグルーチョ・マルクスを足して2で割ったような人でした。深く理解している内容を極めて面白おかしく教えてくれました。正統派の経済学を教えてくれましたが、一週おきかそこらには、『ここまではスタンダードな理論を説明したから、今から真実を話そう』と、マルクス主義的な視点を教えてくれました。そこから学んだのは、反対の視点を公平に提示することの重要性でした」
「たとえスタンダードな見方が間違っていると心の底から考えていたとしても、それを私たちに正しく教えることを望みました」
クヌースの他にも、講師には、インターネットの創始者に数えられるジョン・マッカーシーやヴィントン・サーフがいました。「3人から学んだ重要なことは、仕事におけるユーモアの重要性でした。サーフは、ユーモア作家でリメリックのコレクターであるベネット・サーフの甥であり、血は争えませんでした。サーフがインターネットの説明をしたとき、ギルバートとサリヴァンのオペラ『軍艦ピナフォア』を引用して歌い出しました。『パケットを無くしたりは?一度もない。なんですって、一度も?あー、めったにない』と」
マッカーシーは人工知能の分野のパイオニアであり、ワドラーは彼から「LISPでプログラムする方法、すなわち、関数型プログラミングの本質を学びました」
スタンフォード大学在学中、ワドラーはHomebrew Computer Clubの会合に参加しました。「ある日、仲間がテレビに取り付けられるシングルボードとキーボードを持ってきました。それは実のところApple Iでした。持ってきた男はウォズニアックだったと思いますが、私はコンピューターに集中していて、マシンの後ろにいる男にはまったく気を向けませんでした。その頃よりは、人に気を配れるようになっているといいのですが」
また、ホフスタッターが出版前の『GEB』の草稿をもとに行った授業もありました。この本が1979年に出版されたとき、ホフスタッター と「共鳴」したとしてワドラーの名が記されていました。「私はそれをひどく誇りに思いました」。ワドラーのルームメイトでグラフィックアーティストのスコット・キムは、本の中で「巨大な影響」として謝辞を述べられています。
ワドラーはゼロックス・パークで夏期インターンとして働きました。そこで彼はSmalltalkの初期バージョンにシミュレーターを実装しました。これは「小さくてエレガントなシステム」でした。「『dynabooks』についての多くの議論」がありました。「これは当時まだ存在していませんでしたが、今ではノートパソコンと呼ばれています」
ワドラーが人工知能を研究したカーネギーメロン大学では、ノーベル賞受賞者のハーバート・サイモンが最初の2年間指導教官となりました。ここからワドラーはプログラミング言語に的を絞るようになります。「AIの中で最も興味を持っているのは情報をどう表現するかだと気づいたのです。そして、これをより直接的に扱っているのがプログラミング言語だと思いました。ここでも人に恵まれました。最初サイモン、次にウィリアム・シャーリス(Dr. William Scherlis)、ガイ・スティール・ジュニア、そしてニコ・ハーバーマンです」
ワドラーは、「Listlessness is better than laziness: an algorithm that transforms applicative programs to reminate intermediate lists」により、カーネギーメロン大学で博士号を取得しました。学位論文の指導教官を務めたのがスティールとハーバーマンでした。
産業界と学術界
1983年、ワドラーはオックスフォード大学のプログラミング研究グループの研究者となり、多くの論文を発表しました。中でも最も引用されているのが「How to replace failure by a list of successes」です。
その後、ワドラーはグラスゴー大学でHaskellの主要設計者となり、この言語は遅延関数型プログラミングで最も広く使用される言語となりました。ワドラーは2つの主要なイノベーションに貢献しました。1989年にスティーブン・ブロット(Stephen Blott)と著した型クラスに関する論文、そして、1993年にサイモン・ペイトン・ジョーンズと共同執筆したモナドに関する論文です。これらのイノベーションにより、彼は最も著名なコンピューターサイエンス研究者に数えられるようになり、1993年に教授職を得ました。モナド論文は、過去10年間で最も影響力のある論文として2003年にACM賞を受賞しています。
Glasgow Haskell Compiler(GHC)はグラスゴーで開発され、ペイトン・ジョーンズとサイモン・マーロウは2011年にACMソフトウェア賞を受賞しました。ワドラーは2016年に特別功労賞を受賞しました。Plutusの共同制作者であるチャクラヴァティは次のように述べています。「その後、モナドのカテゴリカルな概念を使用してデータの入出力を処理する機能的な方法を提供し、一般的な命令型プログラミングにも大きな影響を与えました。型クラスとモナドは、ソフトウェアアーキテクトがHaskellでどのようにプログラムを設計するかを決定してきました。この2つの概念は他の言語でも採用されています」
Haskellで実装されているCardanoのコアと並行して、ワドラーは多くの注目すべきアプリケーションの中で3つのお気に入りを挙げています。まず、Facebookはサイモン・マーロウが作成したHAXLライブラリーを使用して、投稿するすべてのメッセージをスパムや偽情報でフィルタリングします。第2に、多くの銀行がHaskellを使用しています。Haskellの影響により、ほとんどの金融会社が何らかの形で関数言語を使用するようになっています。最後にSEL4。携帯電話用の非常に安全な最小限のオペレーティングシステムです。このプロトタイプはHaskellで書かれてIsabelle証明アシスタントにおける形式モデルの基礎を形成し、その後本番実装され、高速化のためにHaskellからC言語に翻訳されました。翻訳は、Isabelleの形式モデルに照らして検証されました。
グラスゴー後、ベル研究所(Lucent Technologies)、アバイア研究所で7年間を産業界で過ごしました。ペイトン・ジョーンズはMicrosoft Researchに移ったのち、現在はEpic Gamesに在籍しています。この時期の業績は、サン・マイクロシステムズの設計の基礎となったGJ(Generic Java)とFJ(featherweight Java)の2つです。後者は1999年から、1枚の紙に書くことができるJavaの形式モデルとなりました。これは、ワドラーの論文の中で最も引用されている論文です。彼は言います。「GJは理論を実践に押し出し、FJは実践を理論に引き込む」
アバイアでは、W3C(World-Wide Web Consortium)で開発された、XMLをクエリし、ドキュメント、データベース、ウェブページのデータを結合するための言語であるXQueryに関する論文を発表しました。これにより、他の言語の複雑なプログラムを数行のコードで置き換えることができます。
その後、2003年にエディンバラの理論計算機科学長のオファーを受けました。このポジションを受けることは簡単に決意できました。ワドラー憧れの偉大な科学者の1人、ロビン・ミルナーの後任だったためです(その他にはQuicksortアルゴリズムの考案者アントニー・ホーアが挙げられます)。「エディンバラでその椅子をオファーされたとき、断ることなどできませんでした。そもそもがロビン・ミルナーのために設けられた職だったからです」
Tシャツにラムダを描いた男
ワドラーは、クヌース、マッカーシー、サーフから学術論文や発表におけるユーモアの重要性を教えられました。博士論文は「Listlessness is better than laziness(無頓着は怠惰よりマシ)」であり、初期の出版論文には「How to replace failure by a list of successes(失敗を成功のリストに置き換える方法)」でした。ワドラーは言います。「その後はもう後戻りできませんでした」。彼は、自分の論文タイトルがヘレン・ソード(Helen Sword)の『Stylish Academic Writing(スタイリッシュな学術的文章)』に使用されたことを喜んでいます。
ワドラーの講義を受けたことがある人なら、彼が衣装を身に着けたスーパーヒーロー、ラムダマンに変身するのを見たことがあるでしょう。ラムダ λ 計算は、Haskellの基本となる数理論理の形式体系です。スーパーヒーローへの変身は、ワドラーが学会での講演で始まりました。Tシャツに数式を描き、「数式を見せるために上に着ていたシャツを剥ぎ取る」という演出をしたのです。このため、ボタン留めではなくスナップ留めの専用のシャツを用意しました。「あるTシャツには、RAGシーリー(RAG Seely)による線形論理のカテゴリカルな説明を描きました。彼は親切にも、『シーリーモデル』としてポーズを取ることに同意してくれました」
別の学会でバーにいたとき、同僚がワドラーの行動をスーパーマンになぞらえました。そして、「閃いたんです。ラムダのデザインを依頼しました。MatijaとMojca Pretnarが作成してくれたので、スーパーマンのコスチュームを購入してその前面にプリントしてもらいました」
ピアレビューがIOGを「ユニーク」な存在に
ワドラーは、Input Output Global(IOG)のCEO兼共同創立者であるチャールズ・ホスキンソンに出会い、6年前にInput Outputで働き始めました。ホスキンソンは、IOGのチーフサイエンティストにしてエディンバラのBlockchain Technology Labの創設者であるアゲロス・キアイアス教授を訪問していました。「チャールズが私に会いたいと言ってきました。ちょうど妻のワンダに出会った頃です。その頃彼女はリオデジャネイロに住んでいました。ブラジルへの飛行機代が頻繁にかかると予想したので、チャールズにコンサルティングの仕事をさせて欲しいと頼んだんです。大胆でしたが、人生で最良の選択でした」
産学連携の重要性について見解を共有していることは、すぐに明らかとなりました。「チャールズの一番素晴らしいところは、IOGはすべてを査読済みの研究に基づいて行うべきだという主張です。彼が指摘するように、それこそが科学の基礎なのです」
IOGはエディンバラのラボを始め、他大学の研究拠点にもいくつか資金を提供していますが、これはテクノロジー企業の間では珍しい戦略ではありません。しかしワドラーは、IOGはさらに先を行っていると感じています。「複雑な暗号プロトコルでは、査読済みの研究が正しいことを確認する最良の方法です。しかし、私が知る限り、こう主張するIOGはユニークな存在です。暗号学だけでなく、すべての計算科学に適用されます。GoogleやMicrosoftは開発者に公開を許可しますが、信頼性に向けた重要なステップと考えているわけではありません」
ワドラーは、Cardanoで使用されている台帳モデルである拡張UTXO、HaskellやMLなどの言語の理論的基礎における重要な要素であるSystem F、ブロックチェーンコントラクトなどをカバーするIOGの論文に寄稿しています。
「Featherweight Java」論文に見られるワドラーの簡潔でエレガントなアプローチは、Plutus is announced in 2018で再び登場しました。エディンバラで開催されたPlutusFestイベントでは、黒地にPlutusの言語仕様をゴールドのインクで印刷した紙ナプキンが配布されました。このアイデアを最初に口にしたのはホスキンソンでしたが、チャクラヴァティが言うように、「これを実現したのは、最初からPlutus Coreをできるだけ小さくすることを主張したフィル(ワドラー)です。その後、チャールズがナプキンに言及しましたが、フィルがそのアイデアを実行したから、エディンバラのナプキンができたんです」
Plutusの核となるのはシンプルさ、安全性、セキュリティであり、すべては関数型プログラミングとHaskellによって可能になりました。
数学の力
ワドラーの研究に流れるのは数学の価値です。「多くの人が数学を恐れています」と彼は言います。なぜなら、「数学は自分たちには難しすぎると思っているからです。JavaScriptを使う頑固な開発者は、スライドに何かが斜体で書かれていると、形式化数学のように見えるので、部屋から叫びながら走り去ってしまいます」
しかし数学は私たちを取り巻く世界を理解する上で非常に強力なツールであり、何千年もの間そのように使われてきました。各世代がその発見を次の世代に伝えてきました。ワドラーのお気に入りの引用の1つに、スコットランドの博学者ジョン・アーバスノット(John Arbuthnot)の1692年の著書『Of the Laws of Chance(偶然の法則)』があります。
私たちが知っていることで、数学的推論に還元することができないものはほとんどありません。それができないときは、私たちの知識がとても少なく、混乱しているサインです。数学的推論が可能なときに他のものを利用することは、蝋燭がそばにあるのに暗闇の中で手探りするのと同じくらい愚かなことです。
このような理解の連鎖は、ワドラーが若い同僚たちに強調していることです。「あなたの研究は、他の人がより良い仕事をするように促すという点においてのみ重要です。私は自分が書いた論文を誇りに思っていますが、私の研究をもとに他の人が書いた論文を、より一層誇りに思います」
彼は、シンプルさを強調します。「必然的帰結すなわちシンプルさの重要性です。研究は、他人がつまみ上げて土台にできるような形で提示するものです。頭の良すぎる同僚が多すぎます。複雑なものを処理するのに十分な賢さを持っているのですが、そのおかげで彼らの言うことは吸収するのに骨が折れます。どうか私のようなアホに向けて書いて欲しい。単純化して洗練させるという作業は、オリジナルの発見と同じくらい重要なのです」
世界最高のサインブック
7月14日、ワドラーはロンドンのCarlton House Terraceに行きます。ここには、80人の優れた研究者、イノベーター、コミュニケーターの1人として、王立協会のフェローとなるべく招聘されます。この学術組織は、クリストファー・レンとロバート・ボイルを創立メンバーとして1660年に設立されました。その建物は、トラファルガー広場とバッキンガム宮殿を結ぶ大通り、ザ・マルを見下ろしています。ザ・マルを建設したチャールズ2世が王立協会のパトロンとなって以来、全君主がこの地位を引き継いでいます。チャールズ3世は1978年からロイヤルフェローを務めています。
ワドラーは、チャールズ2世の署名で始まり、科学史上最も著名な名前が溢れる台帳に自分の名前を書き入れます。現在および過去のフェローには、最初のデジタル計算機である階差機関を実現したチャールズ・バベッジ、AIのパイオニアで戦時コード解読のヒーローであるアラン・チューリング、ホーア、ミルナー、バーナーズ=リー、量子コンピューターの父デイヴィッド・ドイッチュ、BBC Microの共同設計者で世界のスマートフォンを支えるARMチップアーキテクチャーの開発を支援したソフィー・ウィルソン、そして、ペイトン・ジョーンズがいます。クヌースとサーフは外国人会員です。
初期のフェローには、アイザック・ニュートンとロバート・フックがいます。ニュートンは重力の法則についての理論で最もよく知られており、『自然哲学の数学的諸原理』の3つの運動法則はヨーロッパの啓蒙思想に大きな影響を与えました。フックは微生物を発見し、「細胞」という言葉を作りましたが、むしろ金属のバネに働く力を説明するフックの法則で、世代を超えて小学生に最もよく知られているでしょう。1675年、この2人は文通していました。ニュートンは、「私がさらに先を見てるとするなら、それは巨人の肩の上に立っているからです」と書いています。7月14日以降、ワドラーの名前はこれらの巨人の署名と並んで記され、彼はフェローシップにより開かれる機会を心待ちにすることでしょう。
ラムダマンイラスト:Jonathan Smith
参考
- フィリップ・ワドラー執筆資料
- Plutusに関するワドラーのブログ記事(2018年)
- ワドラーのお気に入りの引用
- ヘレン・ソードのテキストブックに関するワドラーのブログ記事
- ワドラーのGoogle Scholarリスト
- 1600年以降の王立協会の歴史
- PlutusFest 2018:マニュエル・チャクラヴァティ基調講演
- 業界におけるHaskell
- エディンバラのBlockchain Technology Lab
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